持たない生き方「本来無一物」

持たない生き方「本来無一物」

今日は時間に少し余裕ができたのでamazonで気になっていた本「持たない生き方」を購入した。

禅の教えのひとつ「本来無一物」人間はたくさんの物をもっていても、死ぬときにそれらを持っていくことはできない。だったら、初めから少ない方がいいという言葉。

その言葉を就業時代から実践されている。金嶽 宗信さんという渋谷区広尾の臨済宗大徳寺派香林院住職さまが書いた本が「持たない生き方」です。

本来無一物
[禅的]持たない生き方

現代人は物があることが当たりまえになってしまっていて、その為に生まれる執着に気づかずに過ごしている。

禅の考えでは「実は、物を持たない方が幸せを感じられる」と考えられています。

最新のパソコンやスマホが出れば、新しい機種に変えるのが当たり前、まだ着れる服が沢山あるのに流行のファッションと言われれば購入する。

欲しいという気持ちで執着が生まれて、所有することでさらに執着があらわれます。

このことから、物を持っていない方が当然、執着が減るというのが禅の考え方です。

ここ数年、僕はどんどん物を減らしていて、物が減った分だけ、心が落ち着いていくのを実際に感じます。

以前は服を何着も持ったいましたが、今は良く着るものだけ残し、しばらく着ていないものは定期的に古着やもっていったりメルカリで売却します。

出かけるときに服選びに悩まないし、新しい服も、欲しいと思わなくなりました。

アクロヨガ始める前には、多くの趣味があり、その為に購入した道具も沢山ありましたが、禅の教えに「その道を極める為に必要な物」を道具と呼ぶとされていて、極める気のないものを買うのは、必要のないものをそろえているということ。

この考えから言えば、年に1回いくかいかないかわからない、釣り道具、スノボなどは極めようとしているのものではないので、わざわざ所有して執着を増やす必要はないのです。

それらを僕は思い切って手放しました。そのおかげか「道具がもったいないから釣りにいかなきゃ」「ボードつかってあげないとなぁ」と道具に心を動かされることが無くなりました。

持ってないから「行かなきゃ」「やらなきゃ」というプレッシャーから解放されて爽快な気分になれました。

特に高校から愛用していたバス釣りの道具なんかは、田舎の友達とまたいつか釣りにいくかもと思っていましたが、誰かに頼めば道具は借りれるし、また極めないと思ったら買えばいいと思えました。

思い出や過去の栄光にすがるのもまた執着のひとつということですね!

禅の教えの「その道を極める為に必要な物」を道具と呼ぶのであれば、私に今、必要なものは、アクロヨガやヨガで使う動きやすい服とヨガマット、コンタクトレンズ、仕事で使うスマホとパソコン、眼鏡、ネット環境、それらを運ぶためのリュック、最低限の食器と調理器具、布団、石鹸。それらが最低限あれば十分ということ。

あとは自分の身があればよい、禅では自分の身も、死んだら持っていけないので物として考えます。

それ以外の物は、別に無くても困らないものと考えれると、まだまだ、僕は沢山のいらないものに囲まれて生活しているなと思う。

2人しかいないのに、いくつもあるコップやグラスに食器。頂きものでなかなか手放せないもの、たまにしか使わない調理器具。数回しかつかわなかった調味料。

それらを手放していくことで、もっとっと生き易くなるはず。
 

今までの人生は、お金を稼ぎ、物を増やす人生だったけど、これから死ぬまでの人生は、物を減らして執着を無くす人生にしていきたい。

この本は、そんな思いを後押ししてくれる1冊でした。